―――― rainy morning ――――







しとしと、しとしと・・・



そぼ降る雨の音で目が覚めた。


ポツポツと、窓ガラスやベランダの手摺りに雨粒が当たって、僅かに跳ね散る音がする。

何処か物悲しいような、それでいて少しだけ懐かしさを覚える静かな雨音。

遠い昔に口遊んだ歌のようなノスタルジックなリズムが、半分夢見心地の頭に染み渡った。



何時だろう・・・?



ゆっくりと部屋の中を見回してみる。

カーテンで遮蔽された空間は、全ての物が彩度を失い無機質なブルーグレイに塗り潰されていて。

枕もとの目覚まし時計に手を伸ばすと、剥き出しになった肩や背中に、

シンと冷え切った朝方の空気が纏わりついた。



ゾクッ ――



一瞬にして鳥肌が立つ。

気が付けば、パジャマも何も纏っていない、無防備な姿のまま。

それは余りにも不安で、頼りなくて、心細くて・・・、思わずギュッと肩を窄めてしまった。

ソロソロと文字盤を確認すると、時計の針はまだ六時を過ぎたばかり。

今日の予定は・・・、大丈夫。何にもない。

もう少しこうしていよう・・・、と慌ててベッドの中に潜り込んた。



「・・・・・・あれ・・・? もう、起きたの・・・?」



途切れ途切れの不明瞭な掠れ声が、耳元をくすぐる。

身じろぐ気配に目を覚ましたらしいあなたが、私の存在を確かめて、

寝ぼけまなこでフニャリ・・・と嬉しそうに笑った。

驚くほど無邪気な笑顔。

こんな少年のような素直な表情、初めて見た。



やんわりと抱き締められる ――――



ホッとするような温もりにすっぽりと包まれた、穏やかな時の流れ。

大きな安心感に抱かれて、まるで小さな子供のようにはしゃぎたくなって、

嬉しくて嬉しくて、ぴったりとあなたに抱きついた。



心臓の鼓動が聞こえる。

トクントクンと規則正しく繰り返されるリズム。

呼吸と共に微かに上下する胸に、指でくるくると悪戯を繰り返す。

薄く残る傷跡を爪でゆっくりと辿ってみる。



大好きな温もりに包まれている。

大好きな匂いに覆われている。

大好きな人に護られている。

大好き、大好き、大好き。



あなたが恋しくてたまらない。

もっともっと安心させてね。もっともっと甘えさせてね。

あなたの首元にもぞもぞと顔を埋めて、大きく息を吸い込んだ。



スゥー・・・



身体一杯にあなたが染み渡る。

私があなたに染まっていく・・・。



「ンー・・・」



眠りを邪魔され、僅かに歪む顔。

鼓膜を震わす声と息遣いが、心の琴線を妖しく掻き乱す。

首を振るたび、銀色の柔らかい髪が顔をくすぐる。

あなたの大きな手が、小さな子をあやし付けるように私の背中を行き来する。

たったそれだけの事にも、心がふるふると揺れ動く。



愛しい想いが込み上げてやまなくて。

溢れそうな想いが今にも零れ落ちそうで。



ケラケラとはしゃぎ声を上げながら、悪戯っ子のように思いっきりじゃれついた。

少しざらつく顎に、軽く歯を立て、舌先でくすぐってみる。



カリッ、カリッ・・・、

ツーッ・・・、ツーッ・・・



お早う。カカシ先生 ――――



フワフワと銀糸が漂う。

笑いを堪える様に、微かに頬が震えている。

ギュッと閉じられた瞼が、困っているような呆れているような・・・、でもこの状況を楽しんでいるようにも見えた。



面白がって、形の良い鼻や唇にも、舌を這わせてみる。

スッキリとした頬の輪郭を指でゆっくりと撫でながら、

薄い耳たぶを甘噛みして、溢れる気持ちを何とか伝えようとした。



好きよ・・・。大好き ――――



甘えて、攻め込んで、翻弄して、困らせて・・・

切ない気持ちを解って欲しくて・・・



でもあなたは、眼を閉じてお手並み拝見とばかりに、されるがまま。

余裕たっぷりに、喉の奥で笑いを噛み殺している。



早く、目を覚ましてくださいな ――――



小さな溜息と共に頬杖をつき、ジーッと顔を覗き込んだ。

大好きな大好きな・・・、愛してやまない大切な人。

あなたはどれくらい、私の気持ちに気付いていますか?

おでこに軽く唇で触れながら、そっと静かに長い前髪を梳った。



「もう・・・。まだ、早いんじゃない・・・?」


「フフフ・・・」



やっと、片方の瞳が気怠そうに開かれた。

不機嫌そうな振りをしているけど、瞳の奥では穏やかに微笑んでいる。



朝目覚めると、隣に愛する人がいてくれる ――――

それだけの事がこんなにも幸せだなんて知らなかった。

ウキウキして、ワクワクして・・・、ジッとしてなんていられない。

顔中にお早うのキスを振り撒いてしまおう!


チュッ・・・、チュッ・・・


大きな手が私の顔を包み込む。

お返しのキスが降り注ぐ。


チュッ・・・、チュッ・・・



「はいはい、甘えん坊のくっ付きたがり屋さん。お願いだから、もう少しだけ大人しくしてようね・・・」



油断をしてたら、呆れ笑いを浮かべるあなたに、「これ以上悪さをしないように・・・」と、

身動きが取れないくらい、きつく抱きしめられてしまった。



「キャッ!」



両腕ごとがっしりと拘束され、動こうにもビクともしない。

息がつけないほどの密着感。

でも、それがかえって心地良かった。

あなたの肩に頭を預け、うっとりと目を細める。

気の済むまで甘えさせてくれる、この腕の中が一番好き。何よりも好き。



ただ、ぴったりくっ付き合って。

何となく、ふざけてじゃれ合って・・・。



どんなに頑張ってみたところで、結局はあなたの手の内で遊んでいるだけだけど。

それでも・・・、ううん、それだからこそ、何よりも何よりも大切なこの場所だから。

だから、ずっと、こうしていたい・・・。






しばらくそうして抱き合って・・・、

いつしか喉の渇きを覚えて、あなたの腕をそっとすり抜け、ベッドの下に降り立った。

足下には、昨晩脱ぎ散らかされたままのパジャマや下着が、無造作に転がっている。

迷わずネイビーグリーンの布地に手を伸ばした。 

下ろし立てのスカーレット色のパジャマと違って、だぶだぶでちょっとだけ男の人の体臭が染み付いているお気に入りの物。

ブルッと震える身体に、男物のパジャマの上衣だけを引っ掛けて、キッチンに向かった。



しとしと、しとしと・・・



降り続く雨の音。

ペタペタと冷たい床を裸足で歩く感触が、徐々に頭の芯をクリアにしていく。

このまま起きてしまおうか・・・?

冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルに口を付け、ホッと一息ついた。



しとしと、しとしと・・・



人の話し声も、鳥の囀る音も聞こえない、未だ薄暗い外の様子。

汗をかいたボトルを手に、ゆっくりと寝室に戻る。

静かにボトルに口を当て、カーテンの端をそっと捲り、外の様子を窺うと、

煙るような雨に包まれた、薄藍色の街並みがひっそりと佇んでいた。

この雨は一日中降り続くのだろうか。

何の予定もない休日だけど、ちょっとだけ残念だった。



「あ・・・、俺にも一口・・・」



私の手にしたボトルに気付き、あなたが声をかけてくる。



ゴクッ、ゴクッ・・・



手渡された水を勢い良く飲み干している。

水の嚥下と共に上下する喉元。

男性ならではのラインとその動きに、思わず目が釘付けになる。

ボトルが空になるまで、見るとはなしに見守り続けた。



「そんなトコに立ってると、風邪引くぞ。早くこっちおいで」



手の甲で口元を拭きながら、私を呼び寄せるあなた。

穏やかな光を湛えた蒼と朱のオッドアイが、一瞬だけ悪戯っぽく瞬く。



せっかく起きようと決心したのに・・・。

今、ベッドに戻ったら、あなたの思う壺のような気もするけど・・・、それはそれでいいか! 



小さく微笑み、勢い良くあなたの胸に飛び込んだ。



あなたの指が優しく髪を梳る。

その度にぞくりと背筋に甘い痺れが走る。

さっさと取り払われるパジャマ。

「せっかく温まったのに・・・」と口を尖らせると、「こんなのより俺のほうが温かいでしょ」と舌を絡め取られた。



フワ・・・ ――――



ずっと求めていた匂い、ずっと欲しかった温もり。

一瞬にして力が抜け落ちた。

心が、満たされたい気持ちで一杯になる。

必死になって、あなたの舌に応えていたら、スッと唇を外された。

悪戯な唇が、掠めるように身体中を駆け巡る。

官能とは程遠い、じゃれ合うような戯れのキス。

さわさわと気まぐれなつむじ風が、全身を余すところ無く吹き抜けていくようで。

くすぐったさに堪え切れず小さく笑い声を漏らすと、面白がってますます悪戯に拍車がかかった。



「待って待って・・・。降参降参・・・」


「駄ー目。何言ってんの。さっき散々くすぐってきた癖に・・・」



歯を食い縛り、身を捩って、何とかあなたの唇から逃れようと必死の私。

逃しはしないと、意地悪そうに、全身を使って私を押さえにかかるあなた。

惰眠を邪魔された腹いせとばかりに、あちらこちらに舌を這わせ続ける。

耳に、手の平に、鎖骨の窪みに、二の腕に、臍窩に・・・

そして小さく波打つ胸の頂を、ゆっくりと口に含んだ。



「あ・・・」



くすぐったさが、蕩けるような官能に掏り替わっていく。

やんわりと胸を揉みしだかれて、甘い疼きがゆるゆると立ち昇ってくる。

夢中になって銀色の髪を掻き抱いた。



しとしと、しとしと・・・



静やかに降り続く慈愛に満ちた雨。

それは、乾いた大地に生命を与え、育み、見守る大きな存在。



あなたは、まるでこの雨のようね。私はあなたに潤される ――――



優しい雨に包まれる。温かい雨に見守られる。

愛する人に触れられる。愛する人を抱きしめる。



何の予定もない、贅沢な一日。

いっその事、気ままに、流されるままに、奔放に過ごしてみるのも悪くない。

冷え切った身体が、昂る熱に突き動かされ、火照りを持て余し始めた。



もっと、もっと、触れ合っていたい・・・。

もっと、もっと、愛されたい・・・。



止まない雨の音を聞きながら、数え切れないほどのキスを交し合った。

雨音と吐息が混じり合う ――――

理性と情欲が境界を失う ――――



このまま…、ずっとこのまま・・・、

二人で溶け合っていられたら・・・。










そして・・・ ――――

再び夢の世界の住人と化した最愛の人。

あどけない幸せそうな寝顔を、間近でずっと眺め続けた。



また、あのフニャリとした笑顔に会いたいな・・・。



「・・・どうやら作るのは、朝ご飯じゃなくてお昼ご飯になりそうね」



横になったまま、ガラス越しに灰色の空を見上げた。

思い切り手を伸ばし、見えない雨粒を手の平で受け止めてみる。

確かに感じる天からの恵み。

二人が出会い、結ばれたこの奇跡を、雨に、空に・・・、何に感謝せずにはいられなかった。



あなたと私。

例えば、この一対のマグカップのように、ずっとお揃いで一緒にいられたらいいね。

私の対は、あなたしか有り得ないから。

どうか、あなたも私を選んでくれますように・・・。



枕元に差し出された手をそっと握り締める。

静かに小指と小指を絡めあい、心の中でそっと願った。



ずっと、ずっと、側にいてね。